PAWL ブログ



mardi 22 novembre 2016

今年後期のPAWLも盛会のうちに終わった。今回は新しい会場での開催となったが、やや狭いという印象はあったが、以前の会場では物足りなさを感じている方もおられたディスカッションが30~40分延長できることになり、全体としては肯定的に受け止められたのではないかと思う。今回で4回目となるので、ディカッションもよく展開していたのではないだろうか。講師の方も以前のテーマと関連するところを見つける機会が増え、そこに味わいを感じている。さらに継続することにより、いろいろな繋がりが見えてくるものと期待したい。

今回参加された皆様に改めて感謝したい。



dimanche 13 novembre 2016

サイファイ研究所ISHEの最終ミッションに「自らの変容」を掲げている。金曜のPAWLにおいてミッションを説明している時、私自身の観察として毎回のカフェの後にも変容が見られるというようなことをコメントした。サルトルに肖れば、そのために必要になるのは、前と後で自らの中で起こっていることを詳しく観察して分類することである。この変容に至る過程も哲学であると言えるだろう。また、「科学の形而上学化」の説明では、現場の科学を終えた後に科学者ができることの一つがこれではないか、というようなことも話した。なぜならば、文系の分野で長くやった人が科学について学び考えることは、その逆に比べて難しいと思われるからである。その上で、「科学の形而上学化」は科学を文化にする上で一つの有効な手段にもなるというようなことを話した。それらが次のエッセイのテーマと混然一体となった時、一つの塊になって浮かび上がってきたのである。全く想像もしていなかった「わたしのプロジェ」となり得るものだが、現段階ではまだ原石の塊。その塊から形が見えてきた時には公表する予定である。



samedi 12 novembre 2016

昨日、第4回のPAWLが無事に終わった。今回はアリストテレスの倫理学を取り上げたが、私にとっては大きなテーマだったのでなかなか手を付けることができなかった。それまでPPTを作るところまで行かなかったということである。結局、二日前からやっとその気になり、直前まで手を加えることになった。これは他でも書いているが、どうもこれが私のやり方として定着してきたようである。つまり、まず材料を揃え、そこから語るべき内容が発酵するまでじっくり待つということ、その状態に耐えることを学んだということになる。その間は苦しいのだが、最後にはそこから抜け出ることができると信じることができるようになったとも言える。これは良い兆候のように見える。すべて、テーズを書く過程で会得していたものである。これから来週のSHEに向けて準備が待っている。

ところで、昨日の懇親会で毎回どのようにしてテーマを選ぶのか、という質問が出ていた。考えてみれば、一体どうやって決めているのだろうか。よく分からない。最初にディオゲネスを選んだ後エピクロスに行ったが、それは私の中にその要素を見ていたからではないだろうか。その次のエピクテトスはパリでの経験からその思想を知りたくなったということである。今回は敢えて挑戦をしてみようという気が強かったように思う。勿論、不完全ではあるのだが、試みてよかったというのが直後の感想になる。次回のテーマはまだ全く見えていない。



dimanche 23 octobre 2016

先日のこと。生き方に関連した哲学を展開した方の著作をフランス語で読むカフェをやってはどうかというアイディアが浮かんだ。一人の哲学者の書を一冊読むという手もあるが、いまのところ日本での時間が限られているので難しそうである。寧ろ、例えば、面白そうなテーマについて書かれた1章を数回に分けて集中して読むというやり方であれば可能かもしれない。ただ、今でも大変なのにさらにもう一つカフェが増えるということになると、マスターの限界を超えそうな気もしている。勿論、この試みは参加希望者がいることが前提ではあるのだが、、。いずれにせよ、始めることができるのは来年以降になるので、もう少しアイディアを温めてみたい。



vendredi 7 octobre 2016

本日から折に触れて、カフェPAWLで取り上げる哲学者やカフェに纏わる話題などを中心にして、ここに綴っていきたい。

第4回カフェでは、アリストテレスの倫理について考えてみることにした。アリストテレスを読む前の個人的な印象は、現実世界を隈なく理解しようとして圧倒される量と質の仕事を残している人というものだが、その中に精神世界も含まれていることを後に知ることになった。好奇の熱を持つ彼にとっては、目に見えない世界も当然の対象だったのだろう。

この点に関する彼の哲学は幸福主義(eudaemonism)と言われるもので、人生の目的、人間の行動の目的は幸福を得ることであるという考え方である。自らを振り返れば、職業生活にある時には幸福などということについて考えたこともなかったように記憶している。ただ、精神的なストレスを減らすような道、それを自分にとって一番自然な道と考え、求めていたように思う。そのためには、自らの中を覗き込むことが欠かせない。こちらでの生活は自らとの対話から成る瞑想生活であった。そこから見ると、職業生活にあった時にもそう意識していたわけではないが、未熟ながらも瞑想的な時間を持っていたことが明らかになる。

アリストテレスはこの問題をどう考えたのだろうか。興味が湧いてくる。





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